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仮面ライダーゴースト 第49話「無限!人の力!」
Twitterでも少々愚痴ってしまいましたが……正直しんどい。
肯定を共有させるのは難しく、書き手の筆力を試させるというのもあり、私は感想や考察を書く時は良い所を探して書くように心がけてます。
基本的には。
……ここまで『良かった』を探すのが難しかった作品は……かなり辛いです。
◆人間は不確定な要素が多すぎる
不確定で、不合理で、コントロール不能! だから消去する……って、こりゃ昨年のブレンさんだ。
でも言いたいことはわかるというか、あのアデル様に付き合わされればこうもなろう! って妙な共感が湧いちゃうグレートアイザー。
タケルに脅威を感じるってあたりも……うん。一番感情移入できてしまう。
作った人、使う人が非道すぎて相対的にマトモに見える現象という自覚はあるんですけど。
◆そこで見ているがいい、人間の未来を
この東京都心に出現する巨人という構図は東映より円谷(特にネクサス)っぽい。
ただ、それだけにその後が……その薙ぎ払いビームで壊すんじゃないのかよ!? ってがっかり感。
命が消えていく……! ってタケル君は言いますが、これまでも眼魂化なんて散々やってるわけで、口で絶望的な事言われても『どうせ倒せば戻れるでしょ』と投げやりな感想しか出てこない。
総評でも改めて述べさせてもらいますが、人の生き死にをテーマにしながら徹底的に死を避けるという矛盾はどうにかならなかったのか。
◆父さん。俺、愛されていたんだね
これもまぁ、今更といいますか……MOVIE大戦創世でやったよね、という。
オーラスのオレ魂と共に最後に持ってきたというのはわかるんですけど、過程と演出とてつもなく下手過ぎる。
あれだけハッタリ利かせて出てきて、何の気ないハンマー突撃で終了って……ねぇ。
武器ををマサカリにするとか(MOVIE大戦のように)、超巨大ハンマーで潰すとか、ハートマークでスタンプしてやるとか、同じ手間で演出は幾らでも考えれたでしょうに。
◆命、燃やすぜ
巨大グレートアイザーは撃破したものの、やはり最後は等身大……終わりじゃなくてほっとした半分、まだやるの? というのが半分。
最後をオレ魂で締めるというのはいいのですけど、ここも巨大戦同様に劇中での理由が乏しいのがいかんともしがたい。
(ウィザードならインフィニティーで倒されてから起死回生の一撃であったり、オーズなら切り札切れからの相棒最期の策であったり……)
完璧な理屈を用意しろとはいいませんが(そも、文句なんてどこにでもつけられるし)、もう少し納得のいく理由付けが欲しかった。
◆これはお礼です。また近くて遠い、いつの日か、また会いましょう
願いについては……もう何も言わないでおきます。
たどり着いた結論は結局のところ
『タケルはすでに超人として生き返っている』
よーく考えるとバッドエンド、なんですよね。
生き返ることはできたし、人間の肉体も味わうことはできる。ですがグレートアイに等しい存在となったものが人間かというと……結局これは『神様が自ら望んで人間として振舞っている』だけにすぎないのでは? と思えてしまいます。
端的な話……タケル君、普通に死ねないよね? っていう。
かつてオーズでアンクが死ぬことで人間として完成したといいましたが、今の彼はその真逆の状態。
制作側はハッピーエンドとして描いたのか、意図的に含みを持たせたのかはわかりませんが、手放しでは喜べない終わり方でした。
◆総評
語りたかったものはわかる。期待した反応もわかる。
けれど、色々なものが足りない。
眼魔界の設定のちぐはぐさ、唐突な政変など、何がしかの路線変更があったのでしょうか。
人の生き死にをテーマとしながら
『眼魔に襲われ、倒されてしまった』
に代表される異常なまでの死に対する忌避、誤魔化し。
それらが結果として番組内における生命の在り方を軽くしてしまった事。
(放送コードが……とは言われますが、その範囲内で可能な演出を考えるのが作り手の仕事であり、それも無理なら、こんなテーマを扱うべきではなかった)
更にあらすじ書きを読んでいるような、雑な途中経過からの唐突な結論、説明的すぎる、言わされているような台詞と芝居。
演出、脚本は悪くないし、ピンポイントに切り取れば面白い画も見えるのにこうなってしまったのは、その上流工程の質に問題があるのではと言わざるを得ません。
次週、特別編を挟み来月には新番組『カメンライダーエグゼイド』ですが……果たしてどうなのか。
どうしても、いつになく、不安を感じてしまいます。