Ru/Li/Lu/Ra 白銀の風セッション後日談SS 『Ariane』

ヘタレ提督D


私の見ている前で、剣が突き刺さった。  刺したのはプルプァ・ケーファと呼ばれる絶対奏甲で、刺されたのは名も分からぬ白い絶対奏甲。
 だが私には、・・彼女の事切れる音が聞こえたような気がした。
 彼女は叫ぶ。私に向かって。
『アリア――アリア、アリア――』

「ヴェルさんっ……!!」
 あっ……。
 思わず、私は上半身を起こしてしまった。かけ布団にした布がめくれ上がる。
「はぁっ……はぁ……」
 身体中を汗が流れ、呼吸も荒くなってしまっている。落ち着かなくては。そう、落ち着いて。深呼吸を。
「すぅ……はぁ……」
 深呼吸したら、少し落ち着いた気がする。少し辺りを見回した私は、そこがフェァマインではなく、トロンメル領北西部の森である事を思い出した。時刻は夜で、今は睡眠をとっているところだ。
 そうだった。私はたかみね高峰トオル様と共に、アーカイアを旅していたのだから、ここがフェァマインであるはずが無い。ヴェルさんが亡くなったのは、もう昔の事なのだから……。
「アリア、大丈夫?」
 左隣から声がかかった。声の方向を向くと、そこには少し驚いたような顔をしたトオル様が、上半身を起こして私を見つめていた。もしかしたら、眠りを妨げてしまったのかも知れない。
「も、申し訳ありません、トオル様。起こしてしまったでしょうか?」
「いや。それより、大丈夫かい?」
 心から心配そうな声色。……だからこそ、私は彼に心配をかけてはならない。
「い、いえ。大丈夫です」
 そう答える。
「本当?」
トオル様は私を見つめてきた。歌姫アリアーヌ・フェノーの全てを見透かしそうな眼差しが、黒い瞳から放たれる。
「……はい」
 私に出来たのは、ただ頷く事だけだった。
「……そうか」
 トオル様はそれだけ呟くと、おもむろに立ち、私へ近付いてきた。
「あっ……」
 思わず、声が漏れた。トオル様が、おもむろに私を抱きしめてくれたから。
「大丈夫だから、ね」
 ああ。やはりトオル様は、何かを感じていた。私を安心させようとするその仕草に、思わず微笑んでしまう。少しだけ、目頭が熱い。
「はい……」
 座って上半身を起こしたまま、私は身をトオル様に預けたのだった。

 この世界・アーカイアに、トオル様が機奏英雄として呼ばれてから、一体どれほどの時間が経ったのだろう。私には分からない。だが、私の二十三年間の人生の中で、今ほど充実している時は無い。トオル様のおかげで、そう思える。
 思い返せば、ここに行き着くまで色々とあった。トオル様たちが呼ばれるきっかけとなった、奇声蟲の大襲来。私は、トオル様や他の方と共に戦った。私の出来た事は、トオル様がお怪我をしないようにと、身代わりの歌術を歌う事ぐらいだったけれど。
 奇声蟲の次は、人間。白銀の歌姫様による反乱が始まり、私は……トオル様が白銀の暁に参加する中、一人評議会についた。ただし、全面的に評議会の正義を信じていたわけでは無い。私は評議会に認められた正規の歌姫だから、評議会に刃を向ける事は出来ないと思ったから、そして白銀の暁の掲げる正義に素直に同調出来なかったから、評議会に奔った。
後で聞いた話だと、白銀に残ったのはトオル様とかわい河合様だけで、とわみ杜羽御様は現世騎士団に、えんどうじ炎動寺様は自由民へ行ったらしい。かつて共に戦った仲間は、戦争の勃発と共にバラバラになってしまった。
だけど、一時共に戦った私たちは、何か言い知れない絆で結ばれていたかのように、フェァマインでの戦闘の頃には、全員が北の国の都へ……そして、白銀の暁のために戦う事になる。
 評議会へ参加した私は、あの仮面の女によって、ある少女に引き合った。それが、黄金の工房によって創られた歌姫、ヴェルシュヒー・ヴェルサージュンとの出会いだった。
『失敗した試作品』と名付けられたヴェルさんだったけれど……最初は表情に乏しかったのに、別れる直前には表情も増え、エタファにある私の家を訪問しよう、なんて約束をするまでに、私たちの仲は深まっていた。ヴェルさんは、決して失敗作では……モノでは無い。それを証明してくれたかのように。
 けれども、ヴェルさんとの別れが来てしまった。彼女が、蟲化を始めたから。
 蟲化とあっては、私にはどうしようも無い。だからこそ私は、後見役にような存在だったの仮面の女に、ヴェルさんを預けたのだった。
 けれど、待てど暮らせど何の連絡も無い。その頃に、私は夢を見た。美しい都が惨禍に見舞われ、ヴェルさんが助けを求めている夢を。その夢は、北を指し示していた。
 私はすぐさま、評議会を離れた。元々評議会に決定的な大義を感じていたわけでは無かったけれども、脱走する事は罪だし気も咎めた。しかしそれでも、ヴェルさんのほうが大切だった。彼女は、私にとって妹のような存在だから。
 そして、紆余曲折を経て、私はトオル様と戦火の中で再会した。――彼は白銀軍の指揮官として、杜羽御様の歌姫にしてヴァッサァマイン国第三王女クリスティア様と共に、白銀軍の旗機を駆っていた。
 やがて戦いは白銀軍の勝利に終わり、評議会軍が敗走を始めた頃……敵は来た。両手に剣を持った、純白の絶対奏甲。その機体に、私は彼女の……ヴェルさんの雰囲気を感じた。
 ヴェルさんは、あの白い機体に、部品として組み込まれてしまっていた。そして、悲劇が起こる。
 私は、ヴェルさんを守れなかった。未熟な私のせいで、彼女は命を落としてしまった……。悔やんでも、悔やみきれない。私がもっとしっかりしていれば、私が、私が……。
 ……フェァマインの戦いは終わった。そして、再び同じ時を歩み始めた私とトオル様は、白銀の暁を抜けた。脱走ではなく、ちゃんと話をして戦線を離脱する事にしたのだ。皆は残念がりながらも、見送ってくれた。
 そして今、私たちは世界を巡る旅に出ている。私は……トオル様と共にある事が出来て、とても幸せ。そして、もう二度とトオル様を見失わないように、歌術を習得した。この歌を使う機会が無い事を、切に願う。

 空を飛んでいると、眼下の緑はまるで『加速の歌』をかけられたかのように過ぎ去っていく。風が心地よい。同じ世界のどこかで、戦争が行われているとは思えないほど、この辺りは静かだ。
私とトオル様は朝になって出発した。
ここはトロンメル領北西部。戦地からはそれなりに離れた土地だから、誰かに攻撃される心配も殆ど無く一夜を過ごせる。
私が乗っているのは、トオル様の新たな絶対奏甲、フォイアロート・シュヴァルベbisの右手。機体の奏座は二人乗り用に改造されているので、そちらに乗る事も出来る。だけど、私は滅多に使わない。あそこは、トオル様をより近く感じられる特等席だから。
吹き付ける風は、先を白いリボンで結わえている私の髪を、優しく撫でている。
『アリア、前を見て。村がある』
 不意に、トオル様が『ケーブル』を介して話しかけてきた。
「村、ですか?」
 言われて見てみると、進行方向には小さい村らしき影があった。
『少し寄って、休憩にしない?』
 ……確かに、ここは気持ちよい反面、疲れてしまう。体力に自信の無い私は、一も二も無く答える。
「そうしましょう」
『分かった』
 トオル様は、機体を村のほうへと向けた。

 一言で表すなら、廃墟。……住民の方々にはとても失礼なのだけれども、私がその村に降り立った第一の感想がそれだった。
 奏甲を村の入り口らしき場所の脇へ停めた私とトオル様は、今その村の基幹であろう大通りに立っていた。
 ところが、人が一人もいない。風は吹きすさんで砂埃を立て、店と思しき場所にかかる看板を揺らしている。
 ここまで活気の無い村も珍しいと思う。それほどに、この村の寂れ具合が普通ではなかった。
「とりあえず、行こうか」
 そう言ってトオル様が歩き出したので、私も遅れてそれに倣う。トオル様のマントが風に翻った。髪は短いのでなびかない。彼の腰にはショートソード、背中にはカタナが装着されている。
 村に入って少し歩いても、相変わらず誰もいない。ここは廃村なのではないか、という疑問さえも浮かんできてしまう。
「誰もいませんね」
 私のすぐ右前を歩くトオル様に小声で話しかけると、彼は小さく頷いた。
「そうだね。まるで廃村みたい」
 どうやら、トオル様も私と同じ考えだったようだ。……ちょっと嬉しい。
「そうですね。……何かあったのでしょうか」
「分からない。けど、こっちのほうは戦場になってないはずなんだけど」
 この付近が戦場になったなんて、聞いた事も無い。だから、一人も人がいない村は不自然だった。
 考えられる原因は……
「奇声蟲でしょうか?」
 私の言葉に、トオル様が首を横へ振る。
「いや、それにしては建物の損傷が少ない。だから……」
 トオル様は言葉の続きを遮られた。
 右側にあるお店と思しき建物から、いきなり少女が追い出されるのを、目の当たりにしたからだ。少女を追い出したのはエプロンをつけた中年の女性で、彼女は這いつくばった少女をほうきで叩いている。
「……!」
 まだ十歳ぐらいにしか見えない少女に、何と酷い事を!
 だが、少女がふと顔を上げた時、私は言葉を失った。
 その少女は、ヴェルシュヒー・ヴェルサージュンにそっくりだったのだ。

 小さなポニーテールに纏められた茶髪、紫の瞳、少し不健康そうな肌。どこからどう見ても、少女は私が守れなかった彼女、ヴェルシュヒー・ヴェルサージュンにそっくりだった。
 そんな事があるのだろうか。死んでしまった者が生き返るなど。だが、現にヴェルさんは生き返り、私の目の前に姿を現した。……彼女は、本当にヴェルさんなのだろうか。死者が生き返るなど、あってはならない事。……だめ、分からない。
「アリア。とにかく、彼女を助けよう」
 トオル様の声で、私は我に返った。そう、まずはあの少女を助けなければ。彼女がヴェルさんであろうとなかろうと。
「はい!」
 私の返事に、トオル様も頷く。そして彼は、少女の元へと駆け寄った。

 トオル様の顔を見た中年の女性は、『ひっ』とだけ声を上げて、さっさとお店に戻ってしまった。失礼な。トオル様は、顔立ちも良い方なのに。
 だけど、結果的に少女を助ける事が出来たのだから、一先ずは良いとしておこう。
 私は少女に近付いて介抱し、彼女の怪我の具合を見る。
命に関わるような怪我ではないけれども、念のために私は、歌術『来るべき死者のためのプレリュード前奏曲』を詠唱する。……怪我を治す歌術に『来るべき死者のため』というタイトルはどうなのだろう。
 ところが、この歌術は詠唱に十分の時間を要する。そうして私が詠唱しているうちに
「あっ」
 トオル様がそう声を出すのが早いか、少女はまるで逃げるように走り去ってしまった。去り際に、まるで怯えるような瞳を残して。
「な、何だったのだろう……」
「人がいるのは確認しましたが、今のは……」
 トオル様も私も、あまりの事に言葉を失っている。あんな幼い少女が虐待されているという事実に。
 だけど、私にはそれよりも気になっている事がある。
「彼女……ヴェルさんによく似ています」
「ヴェルさん? ヴェルさんって、あの?」
「はい……」
 あの戦いで私と共に笑い、泣き、戦った大切な妹であるヴェルシュヒー・ヴェルサージュンの話は、トオル様にもしてある。最も、トオル様はヴェルさんの顔を知らないけれども。
「そうか……」
 トオル様は少し考えるような素振りを見せてから、私へこう告げた。
「何だか嫌な予感がする。行こう」
 そして私たち二人は、少女の去ったほうへ向かった。

 最初に私の目に飛び込んできたのは、二人の屈強そうな男性。次に目に入ったのは、うずくまる少女。最後に目に入ったのは、二人の屈強そうな男性が、うずくまる少女に暴行を加えている図。
「なっ……!?」
 私は言葉を失った。どうしてこの村の人々は、あの少女を虐待するのだろう。
「助けるぞ!」
 トオル様は言うが早いか、腰に帯びていたショートソードを抜き放って、二人の男性へ向かった。
「はい!」
 私も、衝撃波を放つ歌術『神々のおたけび』の詠唱を開始したのだった。

 二人の男性は、トオル様と私の連携の前に、ほうほうの体で逃げ出した。
 私はすぐさま少女に駆け寄り、再び『来るべき死者のための前奏曲』を唱え始める。今度は逃げないといいのだけれど。
 ……。
 果たして、少女は逃げなかった。十分間じっと待って、私の歌術で傷を癒す。
 そうして怪我を治した少女は、私とトオル様に向けて、
「……」
 無言で一礼。これは、感謝されているのだろうか。
「えーと、君の名前を教えてくれるかな?」
 トオル様の問いに少女はこくん、と頷き、
「……イーナ・バウアー……」
 イーナ・バウアー。
 それが、ヴェルさん似の少女の彼女の名前だった。

 家へ送るだけで、別れるはずだったのだけれども……私とトオル様は、結果的にそこにいた。
 つまり、イーナさんのお宅。そのリビングに。
 イーナさんは、村の外れの小さな家に住んでいる。
 壁には何も無いものの、書架には兵法書や政治関係の本がずらりと並んでいる。テーブルには日記と書かれた本に水の入ったコップ、チョーカーと思しき環が乱雑に置いてあった。また、見える範囲で椅子が三脚、何の法則性も見出せないバラバラな位置に配されている。
ざっと部屋を見回しても、物が少ない家なのは明白で、それはつまりイーナさんが一人暮らしらしい事を物語っている。
 でも、どうして一人暮らしなのだろう。しかもまだ十歳ぐらいだというのに。それに、イーナさんが虐待されている理由も……。
「……座って」
 少女の声がする。イーナさんだ。見れば、椅子のうちの一つに腰掛けている。
「あ、えっと。それじゃ、失礼します」
 トオル様が座るのを見て、私も腰掛けた。椅子の高さは……身長一六八センチの私で、少し低いぐらい。
「それで……」
 一同が席に着くと、トオル様がそう切り出した。
「この村、いくらなんでも閑散としすぎている気がする。何かあったの?」
 そう言って、イーナさんに視線を向ける。確かに、この村は不自然なぐらいに人がいない。
 イーナさんは、やや長い沈黙の後に口を開いた。
「……この村は……」
 ……。
 イーナさんの話をまとめると、こうである。
 このブラオフルス村は突如として現れた、ならず者の機奏英雄たちによって、占領された状態にあるとか。村の北方にある館へ陣取ったならず者は、村で好き放題やって――アーカイア人に対する不埒な行為も含まれるらしい――、村を抑圧しているらしい。
 反抗したくても、相手は絶対奏甲を有しているために歯が立たない。トロンメル政府に助けを求めても、トロンメル軍はノイン・パスで行われた会戦での惨敗のため戦力の再編に躍起であり、村へ軍を派遣するどころではないそうだ。
 そして、ならず者たちの私刑で殺された人も多く、結果村人は外を出歩かなくなった。そういう事ならば、納得がいく。それにしても、何と卑劣な!
 ……ふとトオル様を見れば、彼は拳を握り締めて震えている。悔しそうな表情を見れば、私と同じ事を考えているのは明白だった。
 すると、そこで。
 この家の扉を叩く音、そして何かを勢いよく開けたような騒音が響いた。
「!?」
 まさか、先ほど追い払ったならず者だろうか。トオル様も、ショートソードの柄に手をかける。
「イーナはいるかい!」
 ……あら? 女性の声。そして玄関のほうから姿を現したのは、どう見ても機奏英雄に見えない方々だった。
「……村長」
 イーナさんが呟く。どうやら、ブラオフルス村の村長らしい。白髪混じりのロングヘアを書き上げる小太りな女性は、リビングに入るなりイーナさんに向けて怒鳴り散らした。
「英雄様を追い返しちまったんだって? 何て事をしてくれたんだい! 英雄様は絶対奏甲を持っているんだよ、仕返しに村が破壊されたらどうするんだい!! 少しは村の事を考えて行動したらどうなんだい! そんなんだからお前さんは失っちまったんだよ! 全くいい気味さね! 何とか言ったらどうなんだい、ええ!?」
 なっ……。機関銃のようにまくし立てるこの村長は、村のためならイーナさんが暴行を受けていても構わないと言うのか。何と言う身勝手、何と言う残酷。
 イーナさんがあまりにもヴェルさんに似ている事もあってなのかどうかは定かではないけれども、私は自分の頭に血が上るのを感じた。
「自分の言っている事が、分かっているのか?」
 私より一瞬早く、トオル様が口を開いた。その口調は、まるでヴァッサァマインに降り積む雪のように冷たい。
 村長は、その言葉を聞いてようやく居る事に気付いたとでも言ったふうに、トオル様のほうを向いた。
「な、何なんだい、あんたは。口出ししないでもらいたいねぇ」
「いいえ、言わせていただきます。いくら仕返しが怖いからと言って、イーナさんが苦しむのを傍観していられるなんて、おかしいです」
 私も、村長に視線を注ぎつつ言う。
 村長は、今度は私に目を向けたが、恐らく首のチョーカーに気付いたのだろう、小さく舌打ちした。
「いくら英雄様と歌姫様でも、聞きかねるね!」
 私とトオル様が無言で視線を注いでいると、村長はさらに舌打ちして続けた。
「とにかく、口出しは無用だよ!」
 そう言い残して、村長は去った。
 あとに残ったのは、無言の私とトオル様。
 そして。
「……いつもどおり」
 小さくそう呟いたイーナさんだけだった。

 次の日の早朝、私は椅子に座った姿で目を覚ました。小鳥がさえずっているのは爽やかなものだが、うう、身体の節々が痛い。
 トオル様と私は休息も兼ねて、イーナさんの家に数日ほど逗留させてもらう事にした。もちろん、承諾も得ている。
 ここで、ばしゃばしゃという水音が聞こえた。
 何だろう?
 私は水音の方向……イーナさん宅の庭へと出た。
「……ん」
 庭では、ヴェルさん似の少女が桶と格闘して……いえ、それは正確には、お洗濯と言うべきであろうか。
 しかし、イーナさんの手付きは全く慣れていない。
「くすっ」
 私はイーナさんに近付いた。洗濯物を今にも破ってしまいかねない少女が、顔を上げる。
「……アリア」
「ヴェ……」
 言いかけて。
「あ……イーナさん。お手伝いしましょうか?」
 洗濯物の詰まった桶に視線を落として言う。イーナさんは無言で頷いた。
「ふふっ」
 桶を挟んでイーナさんの向かいに座った私は、まだ洗われていないと思しき洗濯物を手に取って、洗い始める。
「……ん」
 ヴェ……イーナさんは、どうやら手こずっているらしい。それを見ていたら……
「イーナさん? こうやるんですよ」
 思わず、口を出してしまっていた。そして、トオル様との旅で上達した洗濯を、イーナさんに披露する。
「……」
 イーナさんは私の手付きに見入っているけれど……注視されるのも、ちょっと恥ずかしい、かな。
 でもこうなったら、ヴ……イーナさんが納得するまでやり続けよう。そう私は決めた。
 ごしごし。
 ごしごし。
 ごしごしごし。
 そうして両手を動かし続ける事、数分。
「……分かった」
 ポニーテールの少女は一言呟いて自分の洗濯物に向き、しゃかしゃかと洗い始めた。その手付きは……まだかなり怪しい。
 そこで私は、イーナさんの後ろに回り、彼女の腕に自分の腕を添えた。
「くすっ。違います。こうやるんですよ」
 添えた腕を優しく前後させると、イーナさんもそれに従って腕を動かす。泡だった石鹸の香りが心地よい。
「こう?」
「違います。こうです」
「……ん」
 本当、イーナさんはヴェルさんに似ている。まるで、今私が腕を添えている少女の名が『ヴェルシュヒー・ヴェルサージュン』であるかと錯覚してしまうぐらいに。
「……これで、どう?」
 洗い終えたらしいイーナさんの手には、なかなか綺麗になった服。大きさからして、イーナさんのである。
 私は微笑んで答えた。
「とても綺麗になりましたね。お上手です」
 私の言葉を聞いて、イーナさんの顔がわずかに赤くなった。
「あり……がと」
 ああ……カワイイな、イーナさん。

 そうして、この村での生活が二日三日と続くにつれて、この村でのイーナさんの扱いが分かってきた。そして、それはあまりにも酷いものだった。
 洗濯物を落とし、土まみれにされる。
 家に石を投げ込まれ、時には家具が破損する。
 買い物に出かければ、商品が残っているのに『売り切れ』と言われる。
 およそ、人としての扱いを受けていない。
 それでも、イーナさんは健気に耐えている。見ている私とトオル様が、気の毒だと思うぐらいに。
 そのイーナさんの姿がまた、私に『失敗した実験作』と呼ばれ、道具同様に扱われていたヴェルさんを想起させた。

 この村に来てから、四日。
 私とトオル様は、昼下がりの大通りを並んで歩いていた。イーナさんには留守番をしてもらって、代わりに買出しに出たその帰りである。
 私とトオル様になら何か売ってくれるのではないかという目論みだったが、それは見事に当たった。お店のご主人が、渋々ながらも売ってくれたから。
「買えて良かった」
 隣では私と同じく荷物を抱えたトオル様が、安心した声色で呟いている。私もそれに同意した。
「そうですね。買えて良かったです」
 さて、今日はどんなお料理を作ろう。野菜をかなり手に入れたので、野菜スープにしようかな。
 イーナさんが顔を少しだけ赤らめて喜ぶ様を思い浮かべつつ、私はイーナさん宅への曲がり角を曲がると……
 家が、崩れていた。
 瞬間、私の腕から力が抜ける。がさり、と何かが落ちる音。
「なんで……」
 最初は、目の錯覚だと思った。しかし、がさりと落ちたモノは私の足に当たり、少しの痛みを伴ってこれが現実である事を示す。
 私の横では、私の半身である英雄様が、やはり呆然とした表情で立っている。
「これは……」
 絶対奏甲による破壊の跡。トオル様はそう呟いた。そうでなければ、ここまで家は壊れないと。明らかに、村人の嫌がらせではない。とすれば、村を占拠しているならず者英雄の仕業だろう。
「い、イーナはっ」
 ハッとなって、トオル様が今にも崩れそうな家に向かう。私もそれに続いた。

 今にも倒壊しそうな家。屋根は崩れて部屋に落ち、柱は曲がって支える職務を放棄している。さらに、崩れた壁などが粉々となって、白日の下に晒された部屋に散乱していた。
その惨状の中に、イーナさんの姿はどこにも無かった。
家のどこにも。
人をすっぽり覆えそうな瓦礫は無いので、下敷きという線も無いはず。
 けれども、私は目を皿のようにして瓦礫の山となった部屋を捜していると。
 かさ、と紙の束が音を立てた。音源は私のつま先で、そこには、瓦礫で煤けてはいるものの、一冊の本。開いている。私は思わず拾い上げて、その本の内容に見入った。
 見つけた本は、イーナさんの日記だった。
「これ、は……」
 またもや、私の腕から力が抜け、かさっという音が立った。
 どうしたの、アリア。私にそう声をかけた男性は、足元に落ちた本を拾い上げた。そして、彼の目も本に釘付けとなる。
『○月○日
 シュウジ様が、フェァマインの東門で戦死』
 そのページには、簡潔にそれだけ書かれていた。
 イーナさんが歌姫であるというのは、初めてこの家にお邪魔した時に見たチョーカーから推測出来る。シュウジ様というのは、恐らくイーナさんの英雄様なのだろう。それは別段驚く事ではない。
 問題は、その後。『フェァマインの東門で戦死』。
 フェァマイン東門。かつてのフェァマイン攻防戦で、誰あろうトオル様が指揮官を務めた戦線。
 それはすなわち。
 トオル様が、イーナさんの大切な人を奪ってしまったという可能性。
 大切な人を失う悲しみは、私にもよく分かる。ヴェステェンデの陣地でヴェルさんが見せた笑顔、無情にも、白い奏甲に突き刺さる刃、彼女の悲痛な叫び。私の実家を見に行く約束も果たせないまま、ヴェルさんは逝ってしまった。
 私が十二賢者ミスラルの本性を見抜けなかったばかりに。私が、私が……。
「アリア!」
 後ろからかけられたトオル様の声に、私ははっとなった。
「何でしょう、トオル様」
「どうやら、ここにはイーナはいないみたいだ」
 とすると。イーナさんはどこへ……。
 あっ。
「トオル様、少しお待ち下さい!」
 私とイーナさんは、この数日で仲良くなれた。そして、彼女が歌姫であるのなら……この歌術が使えるはず。
『秘められし言の葉を以って、我は幻なる糸に問いかけん……』
 詠唱終了までに三十分かかるこの歌術は、『秘められしシャンソン言葉』。自分の英雄様や、親しい歌姫の位置を割り出す事が可能な歌術である。
 ……もう二度と、トオル様を見失わないために。

 フォイアロート・シュヴァルベbisは、北に向けて飛んでいた。今回は風を楽しむ余裕など無く、私も奏座に収まっている。
 歌術『秘められし言葉』で割り出したイーナさんの位置は、村の北だった。家を襲った相手が絶対奏甲である事を考慮して、こちらも絶対奏甲で向かう。これはトオル様のアイディアだ。
「それらしき館を発見した」
 トオル様の声。私とトオル様は奏座によって隔てられているが、それでもこの複座は、トオル様を近くに感じる事が出来る。私だけの特等席。
それにしても、館。以前にイーナさんが話していた、ならず者の館だろうか。イーナさんがいるとすれば、あの館だろう。私の歌術は館の方角を示しているし、状況から考えてならず者が連れ去った可能性が高いからだ。
その時、私の脳内に奏甲の眼から見た映像が飛び込んできた。一応、機体の視覚は二人とも確認出来る構造なのだ。
「下方にプルプァ・ケーファと思しき機影。数、二機」
 私は要点のみを簡潔に、トオル様へ報告した。プルプァ・ケーファは歌姫要らずの突撃式と呼ばれるタイプの奏甲である。
『ここから先へ行く事はまかりならない! 速やかに転進せよ』
 聞きなれない声が頭に響く。恐らく、ケーファの英雄が通信機能『ケーブル』を介して、こちらに話しかけているのだろう。内容は、要するに館へ近づくなという事か。
 しかし、イーナさんのいる可能性が高い以上、こちらも退くわけにはいかない。
「そうはいかない!」
 トオル様が、はっきりと答える。さすが、頼もしい限り。
『そうか……なら』
 二機のケーファが、機関銃らしきモノを構えるのが見えた。
『落ちな!』
 刹那、たたた、という乾いた音。射撃音。
「くっ!」
 トオル様が機体を傾ける。
「撃ってきた! いくぞ、アリア!」
 その言葉は、戦闘開始の合図。
「かしこまりました!」
 私はそう答えて、織歌を紡ぎ始めた。穏やかな歌に、だんだんと勇壮さを付け加えていく。それは戦闘起動の歌。絶対奏甲が、乗り物から兵器へ。
「よし!」
 戦闘起動が開始されたのを確認したのだろう、トオル様は機体の腰部に備えられていた一振りのカタナ――ずっと使っている、愛用の一振り――を抜き放つと、敵へ向けて急降下を開始した!
 地面に激突するかしないかのスレスレで、機体は地面と平行に飛ぶ。そしてその時、敵とすれ違うその時こそ、攻撃の機会。
 白刃が煌き、敵ケーファの胴を切り裂く。
 機体は残心とでも言うように少し後ろへ抜けてから、超低空のまま急制動をかけて今しがた斬った敵へ向いた。
 斬られたケーファのほうは、こちらへ振り向く時間さえも与えられずに……ずしん、という音と振動を伴って倒れた。
『このやろーっ!!』
 一機倒したのも束の間、もう一機が倒れた機体の後方……こちらの機体の正面から、機関銃を撃ってくる。
 トオル様は機体を右へサイドステップさせると、そのまま一気に超低空飛行へ移行、敵機の幻糸炉へ向けてカタナを突き立てた。突き立てられたほうは動力を失って、機能を停止、各坐する。
 全く危なげの無い戦い。私は改めて、トオル様がかつて白銀軍の指揮官機に搭乗していたほどのお方であると、思い出した。さすがはトオル様。
 私はトオル様にお祝いの言葉を贈りたかったが、織歌の詠唱を止める事は出来なかったし、まだ肝心のイーナさんが見つかっていないので止めておく。
『ボブ! スー! 手前っ』
 私たちの機体の背後から、さらに新しい声がかかった。トオル様が機体を振り向かせると、そこにはシャルラッハロートVという量産機。手には大型の火砲と思しき武器を持っており、腰には剣が装備されている。
 ……相手がこちらへケーブルを繋いでいるから、その歌姫の歌も聞こえる。そして、私は理解した。あの機体の歌姫は――イーナさんだ。
 トオル様も気付いたのだろう、機体にカタナを構えさせている。ケーブルを介して歌が聞こえるという事は、相手も複座か。
『何の用だ、手前らっ!』
 相手の問いかけに対して、私は答えた。
「イーナさんを返していただきます!」
『イーナだぁ? この歌姫の事か。断る!』
 どうしてだ、とトオル様が叫んだ。
『俺には歌姫がいない。せっかく手に入れたこの機体を動かすのに、歌姫が必要だろうが!』
 自分勝手な事を言ってから、敵は手に持っていた火砲をこちらへ向けて放った。低くて重い、連続した射撃音。私はあまり詳しくないが、恐らく先ほどの機関銃よりも威力は上だろう。
「イーナさん! どうして、織歌を紡ぐんですかっ!」
 私はケーブルを通して、射撃の音に負けないよう叫んだ。
 小さい声が返ってくる。
『歌わないと……殺され』
『無駄話してるんじゃねぇ!!』
 敵英雄が、イーナさんの言葉を遮る。
「くっ!」
 トオル様が呻いた。
 敵シャルVの形成する弾幕は凄まじく、それを回避し続けているトオル様の腕前は、もはや神業としか言いようが無い。それでも、限界は来てしまうだろう。それまでに敵の弾が切れるという保障は、どこにも無かった。
「攻撃して、無力化させよう!」
 トオル様が言うなり機体に急降下の体勢を取らせる。しかし私は、反射的に叫んでいた。
「駄目です、トオル様!」
「あ、アリア?」
 トオル様の驚く声が聞こえる。もちろん、トオル様の仰るとおりにするのが、最善の策であるのは理解出来る。しかし……。
「あの時のように……あの時のようになったら、どうされるおつもりですか!」
 あの時。白い絶対奏甲に河合様の剣が突き刺さり、命を失ったヴェルさん。例え、蟲化で助からぬ命であったとしても……それでも、あのような最後は、あまりにも……。
「あの時のようには絶対しない。約束する!」
「この世に、絶対なんてありません。ミスした、では済まされないんです!」
 言葉が止まらない。どうして。
「俺を信じてくれ!」
「トオル様は信じるに値する方ですが、この件とは別です!」
「アリ――」
 衝撃! 振動が私を揺さぶる。何が起こ……
「飛行翼に被弾した!」
 トオル様の声。続けて
「ああ、良かった。まだ飛べそうだ」
 シュヴァルベの背中に装備されている、飛行用の翼に、敵の弾が当たったのだろう。するとさしずめ、私をゆさぶった衝撃は墜落のものか。
「イーナを助けるためには、攻撃するしかない」
 トオル様が、先ほどと同じ事を仰るので、私はすかさず
「反対で――」
「まだ分からないのか、アリア!!」
 びくん、と身体が震えた。いつも私に優しかったトオル様の、怒声。初めて聞いた気がする。
「いいかい、アリア。イーナを助けるためには、あの敵機を無力化するしかない。でないと、彼女は一生あのならず者の道具だ! それでもいいのか!?」
 道具、という単語を聞いて、私の脳裏にはヴェルさんの事が思い出された。
 『ヴェルシュヒー・ヴェルサージュン失敗した試作品』と名付けられた、まだ十歳ぐらいの少女。恐らく望んでもいないのに創造され、およそ人に付けるものとは思えない名を付けられ、挙句の果て十二賢者の一・ミスラルによって使い捨てられた少女。
 道具として扱われる人を、これ以上増やして良いのか。……いや、良いはずがない。
 だからこそ、イーナさんを助けなければならない。そして、今彼女を助け出す、適切にして唯一の手段は……
「……分かりました。戦いましょう、トオル様」
 私は静かに、しかしはっきりと発音した。
「ああ、もちろん。しかし……」
 一旦、トオル様は言葉を濁した。
「……確実に戦闘力を奪うなら、敵の懐に入らなければならない」
 確かに、あの弾幕を潜り抜けて肉迫するのは、至難の業だろう。
しかし。私は意を決して、トオル様へと告げた。
「私にお任せ下さい。必ず、この機体を……敵までたどり着かせてご覧に入れます」
 そう。私がやり通せばいい。

 浮遊感があり、私は機体が再び飛翔した事を知る。
「それじゃ、行くよ……!」
 トオル様が、敵へ向けて機体を急降下させ始めた。私もそれに併せて、歌術を紡ぎ始める。
『この幻なる糸の世界に住まう精霊の、葬礼の儀に紡がれし葬送の曲を今、われが歌わんとす……』
 急降下を開始したシュヴァルベに、敵は例の機関砲で射撃を始めた。轟音が辺りを包む。圧倒的な量の弾丸が、私たちの機体へ向かってくる。狙いこそ正確ではないが、それでも相当数の弾が当たるかのように見えた。……いえ、実際に当たった。
 ……っぁ!! こ、これしき……!
 私は全身を貫く痛みに、じっと耐える。そうする事が、私に出来る唯一の事だから。
 身代わりの歌『偉大なる精霊の葬送曲』。効果を発揮する間は、奏甲に与えられる全てのダメージを吸収・歌っている歌姫……すなわち私へと還元する。
 私は意識が飛びそうになるのを堪えながら、それでも歌術を紡いだ。イーナさんのため。彼女を助けるために。……それでも、本当は分かっていた。私が本当にしたかったのは、ヴェルさんへの贖罪なのだと。助けられなかった罪滅ぼしを、イーナさんを救う事で達成しようと。
私は、イーナさんとヴェルさんを重ねて見ていたのかも知れない。……愚かな事であると分かっていても。それでも。
……でも、それも今日でお終い。イーナさんはヴェルさんではないのだから。どれだけ罪を贖おうと、亡くなった方は帰って来ないのだから。
だから。
私はヴェルさんとの思い出を胸に、彼女の分まで生きていく。

私が気を失う前に、シュヴァルベは敵へ向けて肉迫した。

両腕破壊の上に、カタナを突き付けられている。チェックメイト。
そうなると、ならず者は降参するしかなかった。事実、敵は奏座を開き、イーナさんを解放した。
私も機体から降ろしてもらい、イーナさんの元へと駆けつけた。
「イーナさん」
「アリア……」
 私は、イーナさんを抱いた。温かい、血の通う鼓動を胸に感じながら。

 村を占拠していたならず者は、結局所有する奏甲の全てをトオル様が撃破した事で、逃げ去ったらしい。
 村には活気が戻ったが、私もトオル様も、一秒たりともブラオフルスにはいたくなかった。
 トオル様の操るシュヴァルベは、今日も空を翔る。行き先など分からない、気ままな旅。
もちろん私は、機体の右手に立っている。特等席は、滅多に使われないから特等席というのだ。
 加えて、機体の左手には新しいお客。かつて私と共に在ったあの少女の、まるで生まれ変わりのような彼女。歌姫イーナ・バウアー。
『さようなら、とは言いません。これからも共に歩いていきましょう、ヴェルさん』
 私は心の中で呟く。私なりの贖罪、そして訣別の言葉。
それから私は、視線を前に移した。
 広大な地平線。どこまでも続く道。遥か遠くへ。
 でも私たち三人ならば、どこまでも行けそうな気がした。


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