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 鴎が自由民のキャンプに捉えられてから数日が過ぎた。その処遇はあいかわらずの軟禁状態だったが、メーヴェはほぼ毎日やってきて様子を心配してくれた。
 そのうち、あまりの申し訳なさに鴎はメーヴェへと自分も何かできる手伝いがしたいと告げた事もあったが、メーヴェはその申し出を丁重に拒絶した。

『アーカイアの事はアーカイア人の手で行う』

 それが彼女のポリシーであるらしい。鴎はここでも拒否された自分にそろそろ諦観を感じはじめていた。慰めは同席していたダーリエに、周囲の目がなければ剣を教えてやりたいと言われた事ぐらいだろうか。彼女は純粋にメーヴェへの好意で自由民に所属しているようであり、英雄や歌姫、現世人とアーカイア人という枠組みに興味はなさそうだった。

 ナインはあいかわらずの監禁状態だったが、鴎は食事や用を足す時など、外に出してもらえる機会もできた。そして理解できた事には、この拠点全体がキャンプベースであり、自由民たちは遊牧民のように流浪する民らしい。女しかいないというナインの弁も本当だったようだ。その視線は意外と好意的なものも少なからずあったが、この世界に馴染めるかは鴎もさすがに自信が持てなかった。


  鋼鉄の巨人が大地を蹴り、疾走する。その姿を遠く視線の先に捉え、メーヴェは苦痛と戦いながら織歌をつむいでいた。

「Ra……ぅ……く……Ru……」

 髪をぬらした汗がぽたりとメガネにおち、視界を曇らせる。心を支える理性という柱にハンマーが叩きつけられ、そのたびに意識が大きく揺らぐ。それでも彼女は歌う事をやめない。

『大丈夫?やっぱり、戦闘はあたしたちに任せて……』

 隣で同じように歌をつむぐ歌姫の不安そうな声が奏甲を介して伝わってくる。歌姫と英雄、絶対奏甲の間で歌をやり取りするためのケーブル鋼糸機構を応用した念話だ。メーヴェは問題ない、と身振りをしめし、心配してくれた戦友に礼を返した。

 歌声のリズムにあわせるように2体のキューレヘルトは流麗なステップで仮想的である大樹へと切りかかる。まず、一撃。そして離脱を開始する1機にタイミングをあわせ、もう一体がバスタードソードを薙ぎ払う。多対一での基本戦法である一撃離脱だ。一撃目を回避された場合、牽制役が離脱を援護しつつ再攻撃、周囲を囲いそれを繰り返すのが本来の形だが、大樹が回避や反撃を行えるわけもなく、一対の攻撃は見事に大樹を3つに切り分た。

『まだいける?メーヴェ』

「大丈夫……と、いいたいけど、正直きついわ……まだ、調律が甘いのかもしれない」

『わかった。いったん休憩にしようか』

 ダーリエは寮機へとその旨を伝達しつつ、キューレヘルトの戦闘起動を終了させた。
 歌姫のための剣、キューレヘルト。アーカイアで現在唯一、歌姫が扱う事のできる絶対奏甲。だがその実体は足りないリンクを歌姫を奏甲に強制接続させる事で補う魔性の機体である。歌術的に拘束された歌姫の精神には大きな負担がかかり、また強すぎる同調の弊害として乗り手の意思決定に歌姫は一切逆らえない。
 メーヴェはこの魔の奏甲を作り上げた責任として、自らが歌い手となるという債務をかけた。だが、それにも関わらずダーリエの好意に甘えてしまう自分が歯がゆかった。

「えっと、あまり落ち込まないほうがいいと思うよ……?ボクはフラウと繋がるの、苦痛じゃないし、調律がうまくいけば、メーヴェさんだって大丈夫だよ!」

「えぇ、ありがとうアルエ。けど、それには時間が、ね……」

 (このままじゃ……計画に間に合わないかもしれない)

 歌い手としては先輩の少女の慰めを受けつつ、メーヴェは期限までの予定を吟味しなおしていた。3号機の調整はまだ進行途中である。マナの命令で1号機のダーリエと自分への再調律を前倒しに行ってはいるが、こちらもまだ時間がかかりそうだ……。


 メーヴェたちが慣熟試験より戻ってから暫し後。最初に異変に気づいたのはナインだった。現世でもアーカイアでも変わらない真っ赤な夕焼け空、だがその赤さの微妙な違和感をナインは敏感に感じ取っていた。

「……鴎」

「またトイレですか?声かけるぐらい自分でやってくださいよ……」

 メーヴェが出て行ったしまうとする事もなく、物置で惰眠を貪っていた鴎はナインの緊迫した声にも気づかず、面倒くさそうに返事を返す。

「そうじゃねぇよ!……いいか、近々チャンスがくるかもしれねぇ。黙って準備しとけ」

「……準備って何を」

「声がでけぇ。決まってんだろうが……」

 ナインの小声にあわせたように、大地が揺れた。そして甲高い悲鳴、騒音。

「決まってるってなんです?!これは何なんですか?!」

 飛び起きた鴎の、もはや定番と化した叫びにナインはにやりと笑って答えた。

「……奇声蟲どもだよ。ほれ、隙を見て逃げるぞ、準備しとけ!」

 自由民たちは奇声蟲の出現に完全に不意をつかれていた。奇声蟲たちは空間を割って移動できる。それゆえ、平時ならば監視を担当する歌姫たちが感知の歌術を使い、前兆を幻糸の歪みとして察知することができる。だが今回は絶対奏甲の起動実験が仇となった。奏甲も幻糸をエネルギーとして動く巨大物体ゆえ、周囲の幻糸に歪みを生じさせ、奇声蟲の区別をできなくしてしまう。奇声蟲たちにその気はなかっただろうが、この襲撃は完全な奇襲となってしまったのだ。
 5mに及ぶ蜘蛛のような甲虫たちはアーカイアの大地へ身を躍らせると、三匹三様に獲物を定める。その幻糸の動きが奇声蟲を引きつけたのか、まず狙われたのは奏甲だった。物見矢倉を粉砕しつつ、想像以上の速さで奇声蟲が主を抱かぬ奏甲へと突進する。運悪く櫓上で監視を務めていた哀れな歌姫の悲鳴は、獲物を見つけた2匹目の奇声蟲によって強引にかき消された。


 歌姫フラウは格納テントへと、いまや混乱と悲鳴のるつぼとなった自由民キャンプの中を走っていた。

 (私がっ、テントから離れてたから!つまみ食いなんてしにいってなけりゃ!!)

 後悔と罪悪感が幼い歌姫の心を締めつける。相棒であるアルエはまだ奏甲の元で待っていたはずだ。奇声蟲に襲われたものの末路は死よりも恐ろしい。食い殺されたり巻き添えで死ぬならまだいい。蟲どもは多くの場合、襲った女性へと尾部の産卵管を突き刺し、自らの子種を植え付ける。数週間後に成虫となり犠牲者の腹を食い破るそれを取り除く術は、宿主の死しかないのだ……。
 走り去る横目に産卵管に貫かれた櫓上の歌姫の姿が見えた。その姿が頭の中で相方へと変わり、フラウの心は焦りに飲まれていく。早く!もっと早く!!獲物を貪る奇声蟲たちの脇をすり抜け、フラウは格納テントへと最短距離を駆けた。

「はぁっ、はぁっ……あと、少しっ……だけ!待ってて、アル」

 瞬間、幼い少女の身体が宙へ舞った。格納テントへと殺到した奇声蟲はテントの破壊をてこずり、手短な目標を選んだのだ。わざわざやってきてくれた幼い獲物を。

「やぁぁぁぁーっ!だめ!いやぁ!?アルエ!アルエーッ!!」

 フラウの絶叫を楽しむように奇声蟲はゆっくりと取り押さえた獲物の腹へと産卵管をつきたてる。

 皮肉にも奇声蟲が獲物をフラウに移した事で格納テントは破壊を免れた。だが初撃による傷跡は他同様に深い。奇声蟲の突進は支柱を完全にへし折り、いまやテントは積まれた物資と転倒した奏甲によってのみ支えられている。照明のランタンが燃え移ったのだろうか、一部では火の手まで上がり始めていた。

「……リエ……ダーリエ!フラウがやられたわ……ダーリエ!?」

 メーヴェは崩れ落ちた天幕と地面に身体を挟まれながら、相棒の名前を呼んだ。吹き飛ばされた瞬間、奏甲の近くにいたのは記憶しているのだが……。生身で奇声蟲と戦うには、罠や歌術など相応の準備が要る。それができない今、この惨劇を止められるのは奏甲を操る自分たちだけなのだ。最悪の結末を脳裏から振り払い、メーヴェは再度ダーリエの名前を叫ぶ。返事はない、だが意外な方向から助けはあらわれた。

「メーヴェさん、そこにいるんだよねっ!今行きます!!」

「カモメ……君っ?!」

 なんでここに、という叫びへ説明するのももどかしそうに倒壊したテントへと潜り込む鴎。体勢が悪いとはいえ運動部で培った体力は未だ健在である。残骸の中にメーヴェの姿を見て取ると、シートを引き剥がし強引にその身体を引きずり出す。

「なんだか、外が騒がしくなって……でてみたら、あんなのがいて。やばいって思って様子、見にきたんだ……あ、ナインさんは櫓の方見にいってる。そういや、ダーリエさんは……」

「待って!」

 慌てて説明をしながら自らを外に連れ出そうとする鴎の手を、メーヴェは声で制止し、テントの奥……今や天蓋を一人支えるキューレヘルト、その1号機を指差した。

「最初に、あやまります。この間はごめんなさい……そして力を貸して。今、わたしはあなたを頼るしかありません」

「メーヴェ、さん?」

「……乗って。奇声蟲の足は早いわ。生身ではまず逃げ切れない。みんなが生き残るには、戦って、勝つしかありません」

「戦う、って、そんな……」

 無理だ、と声を上げようとする鴎にメーヴェは更に訴えかける。

「あなたは、間違いなくわたしの宿縁……ダーリエの一撃をかわし、奇声蟲に捕まらずわたしを助け出したあなたの力を、今は信じます!」

 ナインの話が、今さっき外で見た惨劇が鴎の頭の中でぐるぐると回りだす。戦えば、死ぬのは自分かもしれない。しかし、眼鏡を落としたメーヴェの裸の視線が鴎のそれと重なりあった時、迷いは全て吹き飛んだ。鴎は宿縁の意味というものを直感的に理解したような気がした。

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